読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「うれくやしい」

素敵なモノを見つけた時はうれしい。だけど、自分が創ったんじゃないからなんだかくやしい。そんな気持ちを大切に。

「うれくやしい」という感情

 

こんにちは。
 
今日はこのブログのタイトルでもある「うれくやしい」という感情について書きたいと思います。(3分くらい)
 
 
「うれしい」+「くやしい」=「うれくやしい」
 
 
この「うれくやしい」という感情は、私がこだわり続けている感情のひとつで、「うれしい」と「くやしい」を足した造語です。
 
 
一体どんな感情かというと、素敵なモノやサービス、または圧倒的にすごいヒトと出会った時に感じる、「うれしい!」という感情と、でもそれは自分が創ったモノや自分自身じゃないから、なんだか「くやしい!」という感情とが合わさった感覚です。
 
 
結論からいうと、この「うれくやしい」を感じる数が多いほど、感性が豊かになり、ピンチに見舞われた時に生き延びられる「自分だけの哲学」が見つかりやすくなるということです。
 
 
この言葉を強く感じる人は、何かを創ったことがあるヒトかもしれません。
「創る」という言葉はなにかクリエイティブな感じがしますが、遊びや仕事をしている時点で、何らかの価値を生み出しているので、それは「創る」ことに入ると想います。
 
 
特に私の携わるWeb業界では、最近この「創れる」ことの壁がどんどん低くなっていて、この感情を持つヒトの数は増えていると思います。
 
 
そういう私も実際にWeb上で創ることを始めたのは1年半ちょっと前で、それまではhtmlもデザインも全くわからない人間でした。周りが就職活動をしているタイミングで、休学を選択しうぇぶうぇぶし始めました。
 
 
なぜ創ることを始めたかというと、在学中にビジネスコンテストでいくつか賞をもらう機会があったのですが、例え自分のアイデアを認められても、それを実装しないことには「社会」に対してなんのインパクトも与えていないと気づいたからです。
 
 
実際に創っている人をみるたびに「うれくやしい」という感情が起こり、自分も早く創るヒトになりたいと日々感じるのでした。
 
 
 
その感情が生まれてからの1年半はわりと真剣に頑張りました。
 
 
 
この半年で創ったものを一応(全部友達と)

「SPAM MUSEUM」

「本の書き出し」

「creive」

「bikkuri」

  

 
でも創る側になって気づいたことは、「創れる」という能力ももちろん大切だけど、そもそも自分がもつ「アイデア「哲学」こそが本当に大切なんだということでした。
 
 
さきほども言ったとおり、Web業界では「創れる」ヒトになる障壁は日々下がり続けています。ECサイトなんて「BASE(ベイス)」を使えば誰でも簡単につくれるし、「ドットインストール」は驚くほど学習コストを下げたし、今は「WordPress」程度かもしれないけれど、Webサイトを簡単につくるツールはこれからどんどん出てくると思います。
 
 
1つのスキルに精通する、もしくは幅広くなんでもこなすスキル(T字型人間)であれば、それは「代替不可能な能力」だと思います。ただ、なんとなく何かが創れるだけの能力は日々「代替可能な能力」の分野に溶け込んできている感があります。そのうちほとんどの仕事が人権費の安い国に代替されるのではないでしょうか(日本語という壁を超えた瞬間に)。
 
 
でも、そこに新しい「アイデアを思いつく能力や、人とは違う「哲学」を持っていれば、どんなピンチに見舞われても生きていけると思うのです。自分じゃないといけない「自分らしさ」を理解している人は本当に強いですから。(例えいまここで戦争が起きて、いまある「自由なうぇぶ」じゃなくなったとしても:例:Googleがなくなる)
 
 
そうなるためには「うれくやしい」という体験を数多くするべきというのが自論です。自分より圧倒的にすごい人会ったり、小説や映画、Webサービスや音楽なんでもいいので、素敵な物を見つけて「うれくやしい!」と感じる。「うれくやしい」を感じる数が多いほど、自分が一体「何に感情が動かされるか」がわかり、自分らしさを知り、感性を豊かにすることができます。そして「自分だけの哲学」がみつけやすくなると思うのです。
 
 
 
だからこれからも日々「うれくやしい」を見つけて、精進し続けたいと想います。
 
 
 
 
というか、、、こんな思いを綴れる、、、、このブログ創った人って、、、、、
 
 
 
あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁ、うれくやしい!!!!!!!!!
 
 
広告を非表示にする